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箱根駅伝5区の「新・山の神」柏原竜二が27歳で引退!理由は?

先日東洋大学OBの設楽啓太がコニカミノルタを退社し話題になりましたが、今度は設楽啓太と同じく東洋大学OBの「新・山の神」として活躍した柏原竜二がなんと電撃引退を表明した。柏原竜二はまだ27歳なのでビックリしましたが一体何が理由で引退を決意したのでしょうか?

柏原竜二画像

出典:https://prcm.jp/album/bnv41/pic/30103281

  • 箱根5区「新・山の神」柏原竜二が引退。軌跡や現役時代の記録など
  • 「新・山の神」柏原竜二の引退の理由は?

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箱根5区「新・山の神」柏原竜二が引退。軌跡や現役時代の記録など

まさかのニュースにビックリしました。引退の理由も気になりすが、柏原竜二が箱根駅伝で残した成績はもはや伝説レベルと言っていいと思います。箱根駅伝の5区と言えば「3代目山の神」と言われた神野大地を思い浮かべる方もいるかもしれませんが、多くの方は柏原竜二を思い浮かべるのではないでしょうか。それほどまでにインパクトのある4年間だったと思います。

柏原竜二は福島県出身。「初代山の神」である今井正人も福島出身だったので福島は山に強いイメージを勝手ながら持ってしまいます。

柏原竜二が陸上を本格的に始めたのは中学校に入ってから。中学生時代はそれほど目立った活躍はなく、高校でも3年生まではそれほど記録も伸びなかったようです。原因は貧血体質。しかし高校3年生には貧血を克服し、夏以降に記録が伸びだしたそうです。大会でも入賞するようになり、12月の記録会では5000mを走り「初代山の神」である今井正人が持っていた福島県高校記録の「14分7秒44」を6秒ほど上回り「14分1秒50」を記録しました。

高校卒業後は就職の予定であったそうですが東洋大学からの誘いを受け東洋大学へ進学。

柏原竜二は大学1年生から箱根駅伝の5区山登りで大活躍し「新・山の神」と言われていましたが強かったのは山登りだけではありませんでした。1年生の時に関東インカレ10000mで3位、5000mで5位、アジアジュニア陸上選手権は5000md2位、世界ジュニア陸上では10000mで7位。ちなみに関東インカレ5000m後は大学2年の都道府県対抗男子駅伝まで、日本人の大学生相手には負けなしだったということからいかに同学年で突出した選手だったかが伺えると思います。「新・山の神」と呼ばれていますが、山だけではなく元々平地も強い選手だったのです。

箱根駅伝では5区を任され厳しい山登りで大活躍。柏原竜二の箱根駅伝についてはご存知の方が多いと思います。

柏原竜二は大学1年生で「初代山の神」である今井正人の記録を47秒更新し8人抜きを達成。「新・山の神」誕生と言われました。柏原竜二の活躍もあって東洋大学は往路優勝と総合優勝。2年生も自分の出した記録を10秒更新して再び東洋大学を往路優勝と総合優勝に導きました。しかし3年生の春に右ひざを怪我してから調子を崩してしまいます。3年生の箱根駅伝は区間賞こそ取りましたが2年生の時の自分の記録に48秒及びませんでした。この年、東洋大学は往路こそ優勝したものの、復路で早稲田に逆転され総合優勝を逃しています。その差は実に21秒。往路は27秒差で東洋大学が勝利しましたが、復路は早稲田が48秒差で東洋大学に勝利しています。東洋大学は6区、7区でブレーキしてしまい8区以降の3人は区間賞の走りを見せるものの追いつけませんでした。しかし1位2位の差が21秒というのはこれまでで一番の僅差で見ごたえ十分のレースでした。ちなみに1位早稲田も2位東洋も大会記録を更新しています。この年秒差で負けたことで東洋大学には名言が生まれました。

「その1秒を削り出せ」

みんなで2秒ちょっと縮めていれば総合優勝できたことから生まれた言葉です。駅伝はチーム競技。個人に頼るのではなく、各々がそれぞれタイムを縮めることをチームのスローガンとして気を引き締めます。

「新・山の神」としての集大成となる柏原竜二の4年生の箱根駅伝。「その1秒を削り出せ」をスローガンにした東洋大学はまさに圧倒的でした。1区こそ4位でしたが2区以降はずっと1位をキープ。柏原竜二も5区山登りにエントリー。結果は区間新記録で自身の記録を50秒も縮め大学時代の集大成を飾ります。まさに「新・山の神」です。そしてこの年の東洋大学は本当に強かったです。なんと往路だけで2位早稲田に5分以上の差をつける圧倒ぶり。復路も2位駒沢大学に2分以上の差をつけ往路復路総合とすべての分野で優勝しました。何よりすごいのはタイム差です。昨年早稲田が出した箱根駅伝記録をなんと8分15秒も上回る快走でした。あまりにも東洋大学が早すぎて翌日の繰り上げスタートがに多くの大学が並んでいるのも印象的でした。なんでも10校以上が6区で繰り上げスタートするのは18年ぶりだったんだそうです。

ちなみに箱根駅伝の「新・山の神」である柏原竜二の記録はすさまじいものがあり、大学4年間で柏原竜二が打ち立てた記録が1~4位すべてを占めるほどのものでした。まさに箱根駅伝の「新・山の神」です。箱根駅伝5区山登りにおける伝説だと思います。

東洋大学卒業後、柏原竜二は富士通へ入社。陸上を継続していましたが、実業団での輝かしい成績は残せていません。5000m、10000mは大学時代の記録を更新できていませんし、2015年に挑戦したシドニーマラソンは2時間20分44秒、2度目のマラソン挑戦となった2016年のびわ湖毎日マラソンは2時間22分15秒で52位と厳しい結果となりました。

そして2017年4月3日、将来を渇望されていた選手の一人でしたが27歳にして柏原竜二は引退することを発表しました。まずは「選手生活お疲れさまでした」と言いたいですが引退理由が気になりますよね。

「新・山の神」柏原竜二の引退の理由は?

「新・山の神」と呼ばれた柏原竜二はまだ27歳。あまりにも早い引退です。30歳を超えて頑張っている選手も多い中、柏原竜二が引退を決めたのにはそれ相応の理由があると思います。世間ではピークが過ぎた、大学時代が全盛期などと言われていますが柏原竜二は怪我や体調にも苦しんでいたので理由は大いに気になります。

しかしながら引退の理由についてはまだ発表されていません。しかしながら17時頃に更新があるそうで、引退理由などはそこで改めて発表されるとのことです。引退理由が発表されたら改めて更新したいと思います。

※17:05追記

柏原竜二の引退理由が公開されたので追記します。

昨シーズン(2016年度)に度重なる怪我・故障をしてしまい、この発表をしている今でも完治しておらず復帰の目処がたたないことから、競技の第一線を退くことにしました。
福嶋監督をはじめ、これまで指導いただいた先生方から、「やめるには早いのではないか?」「治療やリハビリに専念してみてはどうか?」という言葉をいただきましたが、以前アキレス腱を長期間痛めた時に「もう一度大きな怪我をしたら競技人生に区切りをつける」と自分の中で決めていたこと、故障をしてから治療やリハビリに専念してきましたが回復する見込みがないことから、このような報告をさせていただくこととなりました。

引用元:http://f-trackfield.cocolog-nifty.com/blog/2017/04/post-6808.html

柏原竜二の引退はやはり怪我が理由だったようです。みんなもやはり引退するには早いと感じていたようですね。しかし本人の決意も相当固そうです。既に故障してから復帰するための治療やリハビリを行っていてその上で自分で決めたのであれば仕方ないのかもしれませんね。引退を決めたことで本人はスッキリしているようですし、早すぎる感のある引退ですが陸上生活本当にお疲れさまでした。

そして箱根駅伝の感動をありがとう!

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